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プロフィール

はじめまして!
「わたしなりnoものさし」を運営していますひろみと申します。

たくさんのブログの中からこのブログを訪問してくださり、本当にありがとうございます。

愛犬と暮らすたくさんの人がワンちゃんと共にしあわせに歩いて行けますように…と、いつも願っているわたしです。

少しでもみなさんのお役に立てたらという想いを込めて、これまでわたしが愛犬と暮らす生活の中で学んできた、愛犬と共にゆるりしあわせに暮らしていくための役立つ情報をブログで発信しています。

ここでは、その想いに至るまでの「わたし」について簡単にお話ししています。

もしかしたら、ここからのお話で、胸の奥にしまっていた静かなを想いを揺り起こされ、悲しい気持ちになってしまう人がいるかも知れません。

もしも、あなたがそうであったのなら、ごめんなさい…それがどれほどの痛みかわたしには分かります。

なので、無理はせず少しだけ…読めるところまでで十分です。
「わたし」とブログのことを、ちょこっとだけ知ってもらえたらそれで嬉しいです。

ちょっとした息抜きにみてね。

読めるとこまででいいんだって。無理しないでね。

目次

about:わたしについて

  • 東京生まれ東京育ち、韓流ドラマと動物が大好きなB型です。
  • 長女の出産を機に夫の故郷に引越し、今日まで関西在住です。
  • SWELLが大好きなブロガーで、FP2級事務職のフルタイムで働くママでもあります。
  • 少しずつ物を減らすミニマリストです。
  • ミニチュアダックス「ココ」とトイプードル「ももも」、一姫二太郎の子供たちと夫が相棒です。
  • 定年後、愛犬や家族と静かな時間を過ごすことを目標に日々ブログ生活に奮闘中です。

大切な愛犬を想う日

我が家には、月に1度、大切な愛犬を想い家族みんなで手を合わし願う日があります。

「価値観を変え奮い立たせてくれた…ありがとう。頑張ろう…見守ってください…そしてごめんね。」と願う日です。

人生の価値観を変えてくれた愛犬の「ココ」、彼とはまたいつか必ず逢えると信じています。

とても勇敢で優しく、綺麗なミニチュアダックスフンド、チョコたんの男の子。
初めて家族に迎えた生後3ヶ月の小さな命…
共に暮らしわたしより先に老いていったココ…
そして、18才5ヶ月でお別れをした愛して止まない息子ココ…

たくさんの経験と想い出を作ってくれた大切な存在でした。一緒に歩み重ねた18年半という貴重な日々は、ずっとずっとわたしの宝物です。

愛犬とわたしなりの約束

ココに誓った6つの約束があります。

わたしなりの約束
  • 必ずプラスに変えてく
  • 心を自然にゆだね泣く
  • ブレぬ強さ持ち続ける
  • 新しいことに挑戦する
  • 大切な人を幸せにする

ブログを始めたことは、「怖がらず新しいことに挑戦する」ことの1つです。「私は、約束通り前に進んでいけてるのだろうか…」と立ち止まってしまったとき、ブログを振り返ることで励みにしています。

いつか感謝に変わる日が来ると信じて、ココに触れることができる日まで私なりに歩いていこうと思うのです。

新しい家族として迎えいれた女の子

「ももも」は2才から4回もの出産という大きな仕事を果たした、繁殖引退犬の女の子。

ココの命日前日に運命的な出逢いをもって、家族として迎え入れることとなりました。

迎え入れた当初は壁越しの角に座りただじっとしているかクルクル同じ場所を回ってばかり。彼女はずっと何時間でもそうしていました。おもちゃで遊ぶということも知りませんでしたし、今もおもちゃで遊ぶことはありません。

小さな場所で「繁殖のためだけに生かされている。」そんな時間しか持ちあわせていない彼女から感じとれたものは、ただの「無」でした。必ず大事にしあわせにするよと、今はお互いが考えてることを伝え合い理解や認識を共有しているところです。

最近の彼女は出逢った時と比べものにならないくらい表情豊かで、可愛らしいべっぴんさんです。甘えて鳴くようになってきましたが、甘えることに慣れてないせいなのか、鳴き方が下手っぴです。そして、それがとても愛らしいのです。

愛犬とわたしなりの幸せ

朝いちばん目覚めてすぐに向ける視線の先に、いつも愛犬のあどけない瞳がある。そんな毎日の風景に包まれて、私は暮らしています。

なぜ犬なのだろう?

なぜだろう。なんでわたしは犬と暮らすのだろう…

ある人から聞かれました。「何故犬と暮らしてるの?どうして犬なの?」と。

そういえば以前、会社の同僚から「有休も犬のため、旅行も限られて、病気とかお別れとか、犬を飼うメリットが分からない。なんで犬と暮らしてるの?」と言われたこともありました。

「なんで?」…
考えたこともなかったけれど、本当にそうだなぁ…とは思います。大変です(笑)。

勤めもあるし秒読みで忙しい朝ですが、愛犬のご飯にはお腹の調子を整えるための蒸したカボチャと少しでも餌を美味しくするためのトッピングの茹でササミは欠かせません。

散歩も毎日欠かせません。ココは去勢後運動が不足すると直ぐ太ってしまっていたし、もももはうんちを家でしてくれないから、とにかく雨でも雪でも台風でも取り敢えず一旦は外へ散歩に出なければなりません。

理想は1日2回の散歩ですが、働きに出てるため朝の散歩は土曜と日曜日だけです。

それでも仕事を終えてからの夕方の散歩はヘトヘトで、雨だと正直泣きたくなることもしばしば。

家を出て5軒ほど先でサッと排泄できればラッキー!と心で叫んでササっと玄関まで戻り、もはや散歩とは言えない大雨の日もあります。

「勤めからは一切寄り道せず帰宅します!」と言いたいところなのですが、食材の買いだしを済ませて帰らなければならない日もあります。

そんな日は余計なものに目を向けずパッと買ってパッと電車に飛び乗るのです。考えながら買い物する余裕は私にはありません。なぜなら、お散歩を楽しみに待っている愛犬がいるからです。

旅行もおでかけも犬OKの食事処を探すのはひと苦労ですし、さらには、愛犬を貨物扱いされるのが嫌なので、旅行は飛行機の利用を避けて関西に留まり、海外旅行や日本の末端への旅行は諦めています。

元気がない食欲がないとか心配は常にありますし、もちろん食費や医療費もかかります。

なので、考えるとつくづく思うんです。犬を飼うって本当に心も体も折れそうなほど大変だなぁ…と。

学生の頃から実家には犬と猫がいて、確か、1人暮らしを始めた時は服に毛がつかなくなって嬉しかった記憶があります。それでも、「なんか時間が長くなったなぁ、つまらないなぁ」と思ったりした記憶も。

なぜだろう。なんでわたしは犬と暮らすのだろう…。

いつか必ずくるお別れで、心が痛いほどの悲しみと虚無感が待ち伏せていることは、ココをなくしたことで知っています。

彼が遠くに行ってしまった後の数年は、久しぶりに出した服に毛を見つけたり、絨毯の隙間から切った爪が出てきたり、隙間にうまい事挟まって、ボールをかじっていたスペースがポッカリ空いてるのを見ると、不意をついて悲しみが押し寄せ、涙がこぼれます。

コロコロする回数があきらかに減って掃除が楽になったことや、犬NGで行けなかったカフェに行けるということに、とてつもないさびしさを感じるのです。

「あの時の…最期のあの子の苦しさと比べたらこんなことは何でもないことなのだ」と、食いしばり頑張れる、以前より強くなれた「わたし」がここにいます。

実父母を亡くして立ち直れなかった日々、義理の父母との同居生活で苦しんだ日々、子育てが上手くいかなくて悩んだ日々、夫婦喧嘩して居場所がなくなった時、仕事の人間関係に疲れた時…いつもただ黙って愛犬が横に寄り添うように側にいてくれました。

きっともう既にわたしの人生は犬も含まれた1色で染められてるのではないでしょうか。

朝目覚めて向ける視線の先のあどけない瞳の中に私が映っている。
ただそんなことに幸せを感じるのです。

何故犬と暮らすのか…ごめんなさい。
いくら考えても「答えにならない」が答えです。

愛犬へわたしなりの気づきと後悔

辛い時間がとても長かったため、亡くした後の心の置場をなくしてしまい、心のケアに時間がかかっていますし、未だ心の整理はついていません。

ですが、愛犬はたくさんの経験と学びを私に残してくれました。

当たり前に横たわる日常で何も求めず生きる「ただ共に眠って共に目覚めること」の幸せへの真価や、自分が長生きして愛犬の最期をちゃんと看取ることがお互いの幸せだということを。

誰かのために生きる。人間も犬も、そのことがどれだけ大きな力になることか、生きる力になることなのか。無限の力を感じずにはいられないのです。

後悔

仕事があるため、愛犬を長い時間お留守番させることが多かったですし、旅やカフェ巡りにも消極的で見送りばかりしてきました。

「もっとたくさん時間をつくって、たくさん抱きしめてあげられたはずなのに…」ずっと日常でわたしが抱えてきた後悔です。

わが子と少しでも一緒にいたいと願うあまり、全て病院まかせで負担な治療を選んでしまったこと。最後の最後までただただ苦しませてしまっただけだったこと。そうならないための答えを持ちあわせていなかったこと。それが大きくわたしの後悔につながっています。

気づき

投薬に限界がきたときには、自然な最期を迎えさせてあげることが大事だと気づかされました。

その時が来たなら、ブレるな!と自分に言い聞かせること。わが子が苦しく辛いのなら怖がらず腕に抱き、穏やかな最期を一緒に迎えてあげること。ココの看取りからたどり着いた、わたしなりの答えです。

ブログで伝えたい

ココがわたしのもとから遠くに行ってしまうと、あれだけ足りないと悩んでいた時間にぽっかりと穴が空きました。

会社勤めしていても毎日とてつもなく長い長い1日に感じられ、自分と向き合う時間が増えた分、さらに後悔の中へと追い込まれていきました。

行き場のない気持ちを、逃げるように吐き出してきたノートがあります。読み返したとき、彼の笑顔がよぎりハッとしました。思うように出来なかった時間の中にも、彼とのとても幸せな時間があったのだということに気づかされたのでした。

私は文章を書くということは不得手です。でも、愛犬が残してくれた気づきや想いを文字にして残したい。同じ想いをしている大事な家族に届けたい。なんとなくそう考えながら過ごしてきました。

わたしなりnoものさし-ゆるり愛犬と暮らそうでは

何故犬と暮らすのか…。知識や答えがなくてできなかったと、愛犬と巡り逢えたことに後悔が残らないように…。愛犬との毎日をかけがえのない時間にするために…。愛犬と過ごしてきたわたしなりの気づきと想いを詰め込んでいます。


何故犬と暮らすのか…。わたしの想いが誰かの役に立ってくれるなら、それがわたし自身をも救ってくれる…そんなふうに思うのです。

最後に

もしここまで読んでくださった方がいれば、最後に一言…

日本でも最近になってようやく著名人の方々の保護活動により、犬猫の殺処分問題が注目されるようになりました。やっとという感じですが、まだまだ保護された犬や猫を迎え入れようとする人は少数です。

ペットを迎えようと思ったとき、ペットショップやブリーダーから購入する人がほとんどですが、保護された犬猫を迎える方法もあるという事を知っておいてほしいなと思います。

このブログを通して、少しでもみなさまのゆるり愛犬と暮らすためのお手伝いが出来れば嬉しいです。

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