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プロフィール

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はじめまして。ひろみです。
家族5人と天国にいる愛犬、そして1匹の保護犬と暮らす、フルタイムで働く会社員です。

このブログ『わたしなりnoものさし』では、愛犬との暮らしやペットロスを経験、そして日々のささやかな気づきを通して見えてきた”わたしなり“ の幸せの形を綴っています。実際に訪れて良かった、ワンちゃんと一緒に楽しめるカフェや旅先のことも、そのとき感じたままに書いています。犬とともに心地よく暮らす日々の中で見つけた想いを、そのままの言葉で届けられたらと思っています。

目次

わたし

″プロフィール″というと、ふつうは「自分自身について」を淡々と書くものかもしれません。けれど、私を語るとき、どうしても欠かせないのは愛犬たちの存在です。私は、かつて「犬」と言ったら「犬と言うな!」と叱咤しあう家庭で育ちました。だから、彼らをただ「犬」だと思ったことは一度もありません。彼らは私の家族であり、人生の深い場所にいる特別な存在なのです。

だから、このプロフィールも自然と、愛犬たちへの想いを中心に綴る形になりました。大切な宝物である「ココ」や「ももも」のこと、犬とともに幸せに暮らすということの意味ーーそういうことを、少しずつ、掘り下げながら、私という人間について知っていただけたらと思います。

このブログに書いていくことが、愛犬との日々を振り返るきっかけになったり、犬と幸せに暮らすことへの想いを共有する場になれたらいいなと思っています。記事の中には、》hotel anddoggy 京都二条での滞在記 のように、愛犬と過ごすかけがえのない時間にもつながっていくものがあります。

ちょっとした息抜きにみてね

伝わるといいなぁ

ココという宝物

月命日には、愛しい愛犬「ココ」へ感謝の気持ちを込めて祈りを捧げています。「家族になってくれて、ほんとうにありがとう」と。

幼い頃から、「小さくても大切な命」というものを嫌というほど体感してきた私は、その重みを知っていたからこそ、犬を迎えることに強く反対していました。命を迎えるということは、そのすべてを引き受ける覚悟がいるーーそう分かっていたのです。

けれど、家族に押し切られ、気が進まないまま迎えたのは、生後3ヶ月というチョコレート色の小さな命でした。私の生粋の母性本能が爆発し、ありったけの愛情を注いでお付き合いしていったことは、言わずもがな。茶色のかたまりは、子どもたちとともにすくすく育ち、私と一緒に年を重ねていきました。

そして、18歳と5ヶ月17日。春の日に、思いもよらず空へと旅立ってしまったのです。彼との日々は、何にも代えられない、犬と生きる意味を教えてくれた大切な宝物でした。

ココとの約束

彼を見送ってから約4年半ーー。心に開いた穴は埋まらず、いまだペットロスを克服できないままでいます。後悔は尽きることなく、「どうしてあのとき、こうできなかったのか」「なぜ、芯がブレてしまったのか」と、涙する日々です。大事なわが子を失ったのです。10年…いえ、何十年経とうとも、彼がいない喪失感は変わらず、彼への愛が消えることもありません。

この喪失感を抱えながらも、少しずつ前に進んでいこうと決めています。別れをプラスに変えていくこと。時には涙で感情を解放すること。怖がらずに、新しいことに挑むこと。大切な人を笑顔にしてあげること。彼と過ごした時間が、今の私を支えてくれています。

もももという宝物

ココが旅立って1年ーー。不安定な気持ちを抱えたまま迎えようとしていた命日。その前日に、一本の電話がかかってきました。「この子を引きとってもらえないだろうか」ーー突然の依頼でした。マイクと名づけらていたのは、いわゆる「繁殖引退犬」でした。遊び盛りの2歳から4回もの出産を経験し、外の世界も、生きる喜びも知らず、ただ“生かされて”いた子。それが、もももでした。

里親募集ページに掲載してもなかなか決まらず、会いに来る人がいても縁がつながらない。そんな子でした。でも、いっさいの迷いはありませんでした。すぐに「家族として迎えよう」と心に決めました。

翌日、私はマイクを迎えにいきました。まるで、ココが導いてくれたような気がしていました。「この子をお願いだよ」と、私の背中をぐっと押してくれたような…。名前は「ももも」に変えました。由来はとても単純です。私にもう1人女の子が生まれていたとしたら名づけるつもりだった「もも」という名前に『も』をもうひとつ足して「ももも」です。今まであなたに足りなかったもの何でも1つ多くあげるからね。と決めていたので…笑。

連れて帰ってからのもももは、なんにちも何日も、部屋の隅でじっと動かず、まるで感情さえ閉ざしているようでした。動き出しても、同じ場所をぐるぐると回るばかり。きっと狭いケージの中だけで生きてきたので、このぐるぐる回る行為は彼女がずっとそうしてきてたからなんだろうなぁと、私たちもその様子をただ見ていることしかできない日々が続きました。

それでも毎日、「一緒に幸せになろうね」と声をかけ続けるうちに、少しずつ、もももとの絆は芽を出していきました。今では、泣いてばかりだった私を、もももが強くしてくれています。「幸せってこういうことだよね」と、私たちは暮らしの中で教え合っています。そんなもももの笑顔を、これからたくさんブログに残していこうと思っています。

犬と暮らすということ

「なぜ犬なの?」と、よく聞かれます。「旅行も制限されるし、病気や別れもあるのに」と。たしかに、犬と暮らすのは大変です。忙しい朝も食事の準備をして、雨の日でも散歩に出かける。旅行は犬OKの場所を探し、飛行機は避ける。お金も時間も、心配ごとも尽きません。

それでも、犬のいない生活は想像できません。つらい日々も、愛犬がそばにいてくれたから頑張れました。家族と喧嘩して家にいたくなかったとき、子育てがうまくいかず泣いてばかりだったときも、いつも「わかってるよ」と言うように、愛犬が静かに寄り添ってくれていました。仕事で心が折れそうになった日も、彼がそばにいるだけで立ち直れたのです。

一緒に過ごす時間のすべてが愛おしく、時は流れて、ふと気づけば、愛犬に白い毛が混じるようになり、歩くスピードが少しずつゆっくりになっていく。そんな変化を目の当たりにするたび、あとどれくらい一緒にいられるだろう、と考えてしまう。あと何回、ごはんをあげられるだろう。あと何回、撫でてあげれるだろう。そんなことを思いながら過ごす毎日は、何よりも濃く愛しさが増していきます。

ココを失った悲しみは、今も消えることがありません。掃除をしているとき、ふいに見つけた毛や爪に愛しさと切なさがこみ上げます。あの子の気配が消えていきそうで掃除機をかけるのが怖くもなってきました。心のやり場がなく、浅い呼吸だけでなんとか生きてるような毎日です。通勤電車の中で嗚咽がこみ上げ、立っていられなくなることもしばしば…。掃除が楽になった、電気代が安くなった、行けなかった犬NGのカフェに行けるようになったーーそれらを「嬉しい」とは思えないのです。私の人生は、愛犬と過ごしたたくさんの時間で彩られているのです。

「なぜ犬なのか」その答えは、「答えにならない」が答えかもしれません。瞳に私が映っている。それだけで、心が満たされるのです。私にとって犬と生きる意味とは、きっとそういうことなのだと思います。

後悔と気づき

つらい時間が長かった分、愛犬を亡くしたあとも心の整理がつかず、今もその悲しみと向き合い続けています。
それでも、ココはたくさんの学びと気づきを私に残してくれました。

当たり前の日常を大切にすること。共に眠り、共に目覚めるーーそんな日々が、実は何よりの幸せだということ。
自分が長生きして、愛犬の最期を見届けることこそ、お互いの幸せなのだということ。そして、「誰かのために生きる」ことが、どれほど大きな力になるかということも。

もちろん、後悔もあります。仕事のために、ココを長時間お留守番させてしまったこと。「行ってくるね」と言ったときの、あの子の寂しそうな顔が、今も目に焼きついています。旅やカフェ巡りも消極的で、見送るばかりだったこと。写真を見返しても、家の中ばかりで、「もっともっと抱きしめてあげられたはずなのに…」と、悔やむ気持ちは今も消えません。

最も私を苦しめているのは、「なんとか助けたい」と願いながらも、病院に任せ切りになってしまったこと。その選択が、結果的にココを苦しめてしまったという後悔です。少しでも一緒にいたい一心で、負担の大きな治療を選んでしまい、最期まで苦しませてしまったこと。そして、それを防ぐための知識や判断を持っていなかった自分自身への悔いに尽きます。

病院の設備や技術ももちろん大切ですが、それ以上に、命にどう向き合ってくれるかーー人としての姿勢が何より大切なのだとも学びました。最先端の設備で、まるで実験のように治療を進めた末、苦しんでいる子を診察台の上に放置した先生。反対に、設備は十分でなくても、小さな命に「タオルで包んであげなさい」と周囲に声をかけていた先生。そのあたたかさには、大きな違いがありました。

そして、ココが残してくれた大きな大きな気づきがあります。それは…投薬に限界がきたときには、自然な最期を迎えさせてあげることの大切さ。その時が来たら、迷わず腕に抱いて家に連れて帰り、共に最期の時間を過ごすこと。それが、ココの看取りを通してたどり着いた、私なりの答えです。この気づきを胸に、今を生きていきたいと思っています。

ブログを綴るということ

大切な愛犬を見送って、心まで置いてきてしまった朝。あれだけ足りないと感じていた時間に、ぽっかりと大きな穴が空いてしまった心。家族の介護で、どうしようもなくしんどくなった夜。仕事でミスをして落ち込んだ日。

どんなときも愛犬が「分かってるよ」とただ静かに側に寄り添ってくれていたように、あるいは、ふと読んだ誰かの犬との楽しそうな記事に少しだけ背中を押してもらえた時のように、「また明日からちょっとだけ。ほんのちょっとでいいから頑張ってみようかな。」とーー今度は私が、その「ちょっとだけ」を手渡せたらいいな、と思ったりしたのです。

本当はガムなんて感で鼻唄でも歌いながら歩きたいのに、涙がこぼれないように呼吸を浅くして、「まだやれる」と足だけで進んでるような毎日。私の言葉で、誰かの呼吸がふっと深くなれるお手伝いができたらと思っています。私は、文章を書くのが得意ではありません。けれど、ワンちゃんと暮らしの中で、目立たないけれど、たしかにそこにあるもの。温かい静けさも、失って知る温もりも、今そばにいる命の重みも。

「なぜ犬と暮らすのか」。その答えを見つけるために、私なりの気づきや感じたことを、このブログに少しずつ詰め込んでいきます。

いつか私が救われたように、誰かの明日に、ほんの少しの光が灯りますように。そして私自身も、「ごめんね…。」としか話しかけられない日々が続いてもーーいつか、心からの感謝を込めて、ココの笑顔を綴る日が来ると信じています。それまで、焦らず、自分のペースで続けていこうと思っています。

最後に

ここまで読んでくださった方へ、最後にひとつだけ。著名人の保護活動によって、犬や猫の殺処分問題が注目されるようになりました。けれど、いまもなお、保護された犬や猫を迎え入れる人は決して多くありません。ペットを迎えるとき、多くの方がペットショップやブリーダーを選びます。でも、保護犬や保護猫を迎えるという選択肢があることを、少しだけ知っていただけたら嬉しいです。

このブログが、みなさんが愛犬とゆるりと暮らしていくためのお手伝いになれば幸いです。

ペットロスの想いについては、》ペットロスを癒すためにできること にも書き残しています。

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